2013年11月1日金曜日

菱形印の救助船①

ヘシェダルの2003,4年の件をまとめてみました。
複数の英語圏メディアを読んで書いたメモです。

2003年ヘシェダル含む3人のカナダ人MTB選手にEPO(パフォーマンス向上薬)を紹介した。しかし彼自身はヘシェダルがそれを摂取しているところを見た事がない。しかし、その後彼らのヘマトクリット値がUCI上限ギリギリまで上がってたし、世界選手権でも好成績だった。

M.ラスムッセンの話はものすごく簡易にまとめるとこうなりますが、詳細はシクロワイアードさん等でご確認を。


Q. へシェの件で、何故JVがCCESとUSADAに証言済みとツイートしたのか。

へシェが証言したのは1年前。去年の10月はUSADAの件が正式リリースされた時。
そのUSADA文書のマイケル・バリーの証言に出てくる匿名のカナダ人MTB選手がへシェともう2人の選手だった。

“In 2004 I obtained EPO from [U.S. Postal Service and later Discovery Channel trainer] Pepe Marti and split a shipment of EPO obtained by [name redacted] and professional mountain biker [name redacted] from a contact they had learned of from [name redacted].”
                              マイケル・バリー宣誓供述書-ライン62

この匿名部分にヘシェダルと、他のカナダ人MTB選手。そして最後にM.ラスムッセンが入る。


Q. ヘシェダルは何時ドーピングを止めたのか。

ヘシェダルの声明では「短期間」という表現にとどまっている。
スリップストリームのコミュニケーション・ディレクターであるMarya Pongraceさんによると、「現在進行しているサイクリングにおける調査に関係している為、彼が既に発言した以上のことをコメントできない」としている。しかし、それが語られる日が来るだろうと確信しているが、名誉調査のプロセスにある彼は現在語ることが出来ない。

ヘシェダル達がMTB時代、M.ラスムッセンにEPOを教えられ使用したのであれば、USポスタル、フォナック所属時代も使用しただろう、という憶測が出てきているのは当然のこと。
しかし、マイケル・クリードがポスタル(ディスカバリー)時代にクリーンだった例もあるし確定ではない。ヘシェダルの声明とWADAの処分から推測すると、2005年に止めた事になるのだろうか。


Q. 10年前の過失に対しヘシェダルの処分はあるのか?

WADAではドーピングによる時効が8年前迄になるので、2003~4年の10年前のケースは現在の謹慎処分の対象にはならない。
(ヴァンデヴェルデ、ザブリスキーは2006年。ダニエルソンは2007年なので処分の対象になった)


Q. 現在進行中の調査があるのなら、何らかの公表が続くのか?

USADA文書の匿名の欄がどんどん埋まるのかも知れない。
あるいは別の案件かも知れない。今年春ガーミンで引退し、DSに転職したアンドレアス・クリアーがTモバイル時代の件でWADAに協力し謹慎期間中である。
ガーミンは何時でも先陣を切るが、それが彼らの責任なのだとも思う。


Q. 匿名の選手達が、ヘシェダル達と同じく他チームで現役でいるのだろうか?彼らが証言をすることはあるだだろうか?

もしそうなら、「何故ガーミンだけがこれをやらなければいけないのか」という思いもある。
しかし、「したくても出来ない」理由のひとつには、恐らく所属チームの環境がある。
バリーやヒンカピー、ライプハイマーはUSADAに証言するにあたり、当時所属のチームからサポートは無かった。しかし、ガーミンにいた選手達はチームのサポートがあった。
ヴァンデヴェルデやザブリスキーは復帰して1年間走ったし、ダニエルソンは2015年まで契約を更新している。


Q. ガーミンは何故ヘシェダルはじめ元ドーパーをサポートするのか。

何故デッケルを含め元ドーパーをチームに残してサポートするのか・・・と非難するファンもいるが、それはガーミンというチームの役割を理解していないように思う。彼らはSKYに代表される「ゼロ・トレランス」とは少し異なる。

ガーミン・シャープは、チームがポジティブなロールモデルと、ドーピングに毒された時代の一種の解毒薬、その両方であれるという命題のもと作られている。
             Velonews Magazine 4月号 マーク・ジョンソン「アーガイル・ファクター」より


①一度過ちをした選手が、もう一度やり直せる場であるという事。
 (ただしその人選は厳しく、若い選手ではトーマス・デッケル以外に居ない。
 彼がガーミンに来るきっかけは、2008年にガーミンとの契約交渉に際し提示した血液データ
 からJVにドーピングを見抜かれクリーンになることをアドバイスされたという経緯による)

②ポジティブなロールモデルを示し、若い世代を育成すること。

このふたつがチーム設立当初から現在まで続くガーミンの両輪であったと理解している。